禺画像]実は一ヶ月前の散策日記なのだが、ようやくアップに至った。ブログは本当に面倒くさい。。
さて、今回は隅田川テラスの散策。隅田川テラスは、両国橋から勝鬨橋まで続く隅田川沿いの遊歩道である。
まずはスタートは両国橋。千住大橋に続いて隅田川に二番目に架橋された橋らしい。この両国橋の両国とは武蔵の国と下総の国を指す。
禺画像]喜多条忠作詞 吉田拓郎作曲の「両国橋」が脳裏を横切る。由紀さおりも歌っていたが、松平純子という女優が淡々と歌っていたのが私としては印象に残っている。
隅田川テラスにはホームレスも数多く暮らしているが、私のような散策者と話をすることなく、それぞれがお互いの領域に触れない関係を保っている。しかしおそらく花火シーズンには強制退去させられることだろう。
十月過ぎなのにハマナスの実がなっていた。
禺画像]禺画像]続いては新大橋。
新大橋は両国橋に遅れること34年、元禄6年(1693年)に架けられた。
明治時代から吾妻橋、厩橋、両国橋、永代橋と共に鉄の橋で、関東大震災時にも唯一落ちなかった橋として下町の人たちの命を救ったとのことだ。
現在の橋のデザインは一風変わっている。他の隅田川の橋と比べて日本独特の繊細さがない。
南米アルゼンチン原産の大きなパンパスグラスが青空に栄えて美しい。
禺画像]禺画像]続いて隅田川に架かる橋としては一番美しいとされる清洲橋。荒川に架かる葛西橋もこの橋によく似ているが、これほどまでの気品はない。
この橋は、震災復興事業の一環として大正14年から着工され昭和3年に完成した。
ドイツライン川にケルンの吊り橋をモデルに作られたとのことである。
この橋は高さが低く、ジャイアント馬場が舗道を歩いていたならば間違いなくアタマを橋にぶつけたに違いない。
右前方には読売新聞社。
禺画像]続いては隅田川大橋。
隅田川唯一の二層式のこの橋は、首都高速深川線建設にあわせて架橋されたもので、先に下段の隅田川大橋が、完成の翌年に上段の高速道路高架橋部分が開通した。
機能性重視の設計デザインになっていることもあり、本来対になって設計されていた清洲橋と永代橋の中間にあるにもかかわらず、壁のようなその形状により、双方の橋から見通せなくなってしまっているため、隅田川の景観破壊として悪名が高いとのことだ。
本当に景観上忌まわしい。
禺画像]隅田川大橋を抜けると、隅田川テラスは一旦分断される。日本橋川があるからだ。ここに架かる橋が豊海橋。
古くは吉良邸への討ち入りを果たした赤穂浪士が泉岳寺に向かった際のルートにあたる橋として知られる。
このあたりの風景は江戸の情緒が漂っていてなかなか良いものである。
この橋はフィーレンデール型式というらしい。
禺画像]潮の香りも強くなってきた。ここは永代橋。
この橋が架けられたのは1698年。
9年後、深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こす。死者は1500名にも及んだ大惨事であったとのことである。
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